| マルティン・ルター Martin Luther |
1483年11月20日(胃宿) | 共鳴度:46% | ![]() |
| カタリナ・フォン・ボラ Katharina von Bora |
1499年02月08日(角宿) | ||
| ドイツに生まれた宗教改革の立役者『マルティン・ルター』。厳格な父の意向に従い法律家を目指して学問に励んでいた彼は21歳の時、激しい雷鳴に死を予感し神に許しを求めて修道士になる事を決意したそうです。そして大学を離れ、エルフルトで聖アウグスチノ修道会に入りました。そして当時の教会が発売していた「贖宥状」というものの存在に疑問を抱き「贖宥行為の濫用がみられる」として、当時勤めていたヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に後世で『95ヵ条の論題』と呼ばれる張り紙を行いました。これは密かに「贖宥状」の収入で私腹を肥やしていたマインツの大司教アルブレヒト等の反発をくらい、それはカトリック教会との対立に発展してゆきました。その最中で彼は迫害を逃れて世界遺産にも指定されているアイゼナハにあるヴァルトブルグ城に騎士ゲオルグの偽名を用いて隠れていましたが、ヴィッテンベルク大学のある街ではルター無き宗教改革が暴動へと発展していました。これに耐えかねたルターは再びヴィッテンベルクの街に現れ、暴動の沈静化に勤めました。そして41歳の時、1525年6月23日に修道女のカタリナ・フォン・ボラ(26)と結婚しました。修道士が結婚するということは当時としては有り得ないことでした。二人の間には7人の子供が生まれました。その後ルターは故郷のアイスレーヴェンで62歳にて、カタリナはザクセン州のトロガロ・オーシャッツで53歳にて亡くなりました。 | |||
| 相性考察:占星学的にみると二人の誕生日の月が161度の角度を形成しており『安・壊』の関係になる。 | |||
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nov14.2005