種田 山頭火
Taneda Santoka
1882年12月03日(軫宿) 共鳴度:32%
佐藤 咲野
Sato Sakino
1889年05月07日(張宿)
 明治・大正・昭和初期にかけての放浪の俳人『種田山頭火』。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。彼は山口県西佐波令村の酒屋の息子として生まれた。11歳の時に母が井戸に投身自殺し、そのため生涯を通して女性不審な1面があった。彼は26歳の時、1909年8月20日に佐藤サキノ(20)と結婚しました。彼女は山口県和田村のコンニャク農家の長女だったらしいです。1児を儲けるが、実家の酒屋は倒産し、熊本に移住しました。37歳の時、1920年11月11日に妻と離婚し、上京しますが関東大震災に遭い、妻の所に逃げ帰りました。しかし、彼は元妻との不和や生活苦から、酒に溺れた挙句に1924年12月に線路の上で仁王立ちしていたところをお寺の住職に助けられ、僧侶になる事を決意します。そして熊本にある曹洞宗瑞泉寺の党主となったのだが、その生活に耐えかねた山頭火は1925年頃から各地を点々とし、俳句を詠む生活を始めたのです。1935年8月10日には睡眠薬を飲んで2度目の自殺未遂を起こし、12月6日から死に場所を求め、また放浪の旅へ。その後、彼は1940年10月11日朝に脳溢血で57歳にして亡くなりました。このとき、咲野さんは葬式にも行かず、遺骨も引き取らなかったという事です。咲野さんは1968年に交通事故により79歳で亡くなりました。
相性考察:占星学的にみると二人の誕生日の月が317度の角度を形成しているので『安・壊』の関係となる。

oct6.2005